「旅先で仕事?」or「旅を仕事に?」どんな旅ライターになりたいか整理してみた!
2019年、フリーライターとして産声を上げたみさとんです!
やっと念願の夢が叶った! と言うにはほど遠く......新卒で入った会社を辞めて、まるで崖から突き落とされるようにフリーライターとなりました。
ここまで言うと、とってもネガティブに聞こえてしまいますが
『好きなことを仕事にしたい』と覚悟を決めたわたしにとって、幸福度の高い生き方の選択ができたと思っています。
会社員ではなく、フリーランスのライターになった理由はいくつかありますが、
「旅×仕事」をライフルタイルにしてみたいという学生時代からの憧れが大きな要因を占めています。
「旅×仕事」と一括りに言っても具体的にはどのようなことなのか。
そこで、実際に実現させている方々を観察してみました。
すると、2つのスタイルに分かれることに気づきました。
・旅先で仕事を。(生活拠点でおこなう仕事を旅先でする)
・旅を仕事に。(旅することが仕事になる)
私はどちらのタイプなのか......
考えた結果、それぞれの働き方でそれぞれにやりたい仕事があることに気づきました。
ー「旅先で仕事」(生活拠点でおこなう仕事を旅先でする)
わたしはその土地に溶け込むように、街を歩きごはんを食べ地元の人と笑いあう、”暮らすように旅をする”ことに心地よさを感じます。そんな日々をもっともっと日常の近くに置きたい。もし、旅先で仕事ができたら......その想いはぐぐっと現実に近づきます。
では、旅先で仕事ができれば何でもいいのか?
そう考えたとき、答えはNOでした。
その理由は、『人が夢や想いを叶えるための懸け橋となるライターになりたい』
だからこそ、”たくさんの人に取材をし、記事にして発信をするお仕事”をしていきたいと思っているからです。
もちろん、そのお仕事は東京でもできます。
ですが、旅先で出会う日本人に取材をして、旅にでたことのない日本の学生や20代にさまざまな人の生き方を届けられたら......!
読者の生き方の選択肢を広げられる記事になるのではないかと思うのです。
夢は、世界中の人の夢を聴きながら世界一周をすること。
それを叶えるためにも、まずは「生き方・働き方」に関する取材ライティングのお仕事をする必要がありそうです......!
-「旅を仕事に」(旅することが仕事になる)
仕事とは、世の中の困りごとを解決するためにあります。
わたしは、1年の半分は旅をしていたいと思うくらい旅が好きです。好きな『旅』をすることが仕事となり誰かの困りごとを解決できるのであればそれほどしあわせなことはありません。
まさに、野球好きな少年がプロ野球選手になって野球でご飯を食べていくようなもの。それくらい「旅を仕事に」はわたしの憧れの職業です。
旅を仕事にして解決したい困りごとは2つ。
・旅をする日本人を増やす
▼解決したい困りごとその①
旅をする日本人を増やす
日本人のパスポート所持率はたったのは23%。日本人のたった2割しか海外に行く機会を得ていません。見方を変えると、日本人の8割が日本とは異なる文化や価値観を知らずに生活をしているということです。
『井の中の蛙大海を知らず』ということわざがありますが、外の世界を知らずに生きることはもったいないことでもあります。
もちろん、「海外が正しい」「旅が正義」というわけではありません。
それに、旅をしたからといって人生が変わるわけでもありません。
ただ、旅を通して日本とは異なる価値観や文化に触れることで、帰国後の「生き方の選択肢」はぐんっと広がるはずです。
もしかしたら満員電車に乗って会社に行くことは当たり前ではなくなるかもしれないし、よくよく考えたら東京に住む必要もなくなるかもしれません。
それが良い悪いではなく、生きずらさを感じたときに旅の経験が選択肢を広げる役割をしてくれることが大事なのです。
もし今、「日本の常識」の中で生きずらさを感じている人がいるなら、ひょいっと日本を飛び出してみてほしい。
わたし自身が旅に救われたひとりだからこそ、旅にでる勇気をぽんっと押せるような記事を書きたい。それが旅するライターとしての目標です。
▼解決したい困りごとその②
旅することで地域活性化に繋げたい
「被災地の風評被害」や「地方の過疎化」などの社会問題。さまざまな解決策があるかと思いますが、旅することもそのひとつにならないかと考えました。
わたし自身が旅をして、旅先の様子を記事やSNSで発信しPRをすることで、ひとりでも多くの観光客や移住者を増やしたい。
”たかが旅。されど旅。”
旅をすることでその地域の観光業の活性化や人口増加につなげられたら本望です。自分の好きなことで世の中の困りごとを解決するそんな旅するライターになりたいと思っています。
そのためには、「旅メディアでのライティングの仕事」をしていく必要がありそです......!
言語化したことで、だいぶ具体的にどのような旅するライターになりたいのかが見えてきました!
-「旅先で仕事」&「旅を仕事に」やるべきことまとめ
やりたいことを叶えるためのアクションを大まかにまとめてみました。
◆生き方・働き方に関する取材ライティングの仕事を受注する
◆旅メディアでのライティングの仕事を受注する
◆”みさとん”がどのような旅するライターかSNSをブランディングし発信する
今回、自分の想いを実際に書き出してみることでかなりすっきりしました。
自分の夢や目標からやりたい仕事やその背景を整理をすることで、仕事の方向性や軸を明確にすることができるのですね......!
目的地(ゴール)とそれに伴う地図(道筋)を描くことは、道に迷わないためにも道に迷ったときにも立ち戻る場所になってくれるものです。
時間をかけて書き出してよかったなと感じました。
最後に一言。
お仕事、募集中です!!!!
宜しくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうござました!
#02『悩むからこそ人生は輝く。』大学と専門学校の中退を経てフリーライターになった“わたし”の夢の叶え方。DreamBridge-夢取材ノート-
人は誰でも、自分を苦しめる「悩み」や「迷い」からはできるだけ避けて生きていきたいと思うものですよね。今回は、大学と専門学校の中退を経てフリーライターになるという経歴を持ち、第一線で活躍されている鈴木しのさんにお話を伺いました。
「今やっている取材の仕事は、目の前にいる人の考えや想いを読者にわかりやすく記事にして届ける”翻訳家”のような仕事だと思っています。」
そう真っすぐ語る彼女は、数々の人生の修羅場を乗り越え、どのような生き方の選択をしてきたのでしょうか。
鈴木 しの 1995年生まれのフリーライター。大学・専門学校を中退後フリーライターになる。主な執筆分野は、スタートアップ企業の取材・採用・企業PR。オンラインサロン『旅、ときどき仕事』のコミュニティマネージャーも務め、旅と仕事の両立を目指す人達へのサポートもおこなっている。 |
ーー本日はよろしくお願いします! 大学と専門学校中退を経験し、現在フリーライターとして活躍されているしのさんのお話が、進路選択に悩む学生や20代前半の方の参考になればと思っています!
鈴木 しのさん(以下:しの)こちらこそ、よろしくお願いします! 進路選択のターニングポイントは高校時代だったのでそこからした方がいいかなと思います。わたしの歴史はそこから始まったので(笑)。
はじめての大きな意思決定は大好きな吹奏楽を辞めることだった
ーーしのさんの高校時代はどのような感じだったのですか?
しの:高校は、小さい頃から続けていた吹奏楽をやりたくて、都内で一番強い吹奏楽部のある学校へ進学しました。そこで待っていたのは、もう絵に描いたような部活漬けの毎日でしたね。まさに、「朝から晩まで練習をして、授業中は寝る!」みたいな高校生活でした。
ーー部活の強豪校って感じがしますね......!
しの:大学付属の高校だったので、ほとんどの生徒が受験をしなくても大学進学は約束されていました。なので、「大学に行くために勉強もしなくちゃ!」という生徒はほとんどいませんでした。吹奏楽部だけではなく、学校全体が部活中心の校風だったんです。
わたしはその流れに逆らうように高校2年の春、部活を辞めました。今思うとそれが人生で初めての大きな選択だったように思います。
ーーえ! どうして辞めようと思ったのですか?
しの:朝から晩まで部活ばかりの毎日を送るなかで、日に日に「こんな高校生活でいいのかな?」と違和感を覚えはじめました。部活だけをして授業中は寝て過ごす高校生活が「なんだか高校生らしくないなぁ」と、いつも悶々としていました。
ーーかなり勇気のいる決断だったのではないですか?
しの:はい。その決断に至るまでは苦しかったです。ですが、部活漬けの毎日に疑問を持った以上、そこから目をそらさずに自分の人生と向き合えたことや、自分の意志で決断をくだせた経験は、人生においてひとつのターニングポイントだったなと思います。
ーーなるほど。自分を見直した結果、部活を辞めるという決断をされたんですね。そのタイミングで将来について考えたりもされたのですか?
しの:考え始めました。中学生の頃から薬剤師に興味があったのですが、付属大学には薬学部はなかったので他大学を受験しようと思っていました。
ただ、小さい頃から夢がたくさんあって、薬剤師はそのひとつにすぎなかったんです。他にも、医者や漫画家や詩人、音楽に携わる仕事やスポーツ選手にもなりたくて......(笑)。興味のあることが幅広くて、学部を絞るどころか受験シーズンになっても文理選択さえできませんでした。
ーー文理選択ができないほどにやりたいことがたくさんあるなんてすごいですね......!
しの:小さい頃からその時々で好きなことに打ち込んできました。でも、いざ進路選択となると結局なにを選べばいいのかわからなくなってしまって......。かなり混乱しました。部活も辞めて、進路選択もできなくて、路頭に迷うような気持ちでした。それに、クラスのほとんどの友達は付属の大学への進学が決まっているのでひとりで受験勉強に立ち向かわなければならなかった状況も辛かったです。
「わたしの人生なんだったのか......」と、生まれてはじめて自分の歩んでいた人生に後悔しました。
「当時の彼氏に教えてもらったパフォーマーに憧れ、美術大学に進学!?」
ーーたしかに、自分の人生を振り返って方向性をひとつにまとめるって大変な作業ですよね。そこからどのように進路決定をされたのですか?
しの:ひょんなことから道は拓けました。当時付き合っていた彼が、たまたまある演者を教えてくれたんです。その人は、舞台上で人を笑わすことを職業にしているパフォーマーでした。マジックを取り入れたり、とにかくいろいろな手法で人を笑わせる姿に憧れて、すぐにその人が出た大学を調べました。
そしたら、ある美術大学の出身だと知り、その大学について調べ始めました。調べているうちに興味が沸きましたが、入学試験でデッサンが必須だったので絵が描けないわたしは受験を諦めかけていました。そんなとき、HPでデッサンの入学試験が実施されない舞台の学部が新設されることを知り、「もうここだ! 」と運命を感じるように直感で入学を決めましたね(笑)。
ーーすごい勢いですね!
しの:表現の幅を増やしてみたいという理由もありました。小さい頃から、漫画家や詩人に憧れたり、吹奏楽も経験して、総じて表現することが好きな自分に気づいたんです。今までの経験を踏まえて、次に飛び込んでみのが“舞台”という新たな表現の世界でした。
“優等生”という正しさが、ガラガラと崩れた大学生活。
ーーそれでは美術大学に入学後は、「舞台」をされていたのですね!
しの:はい。舞台やダンスが主な授業内容でした。でも、実際にやってみたらどちらも苦手だったんですよね......。そして何より、努力を積み重ねた才能のある同級生を前に唖然としました。すでに映画に出演している子や小さい頃から舞台一筋に生きているような子がざらにいましたし、初心者でも教授に目をかけられて舞台に出演する子もいて、ろくに授業に出ずとも実力だけでのし上がっていく人ばかりの世界に衝撃を受けました。
ーー才能がものを言う世界だったのですね......。
しの:才能のある同級生を前にして、自分が歩むはずだった道がパンっ! と閉ざされた感覚でした。高校生までは、優等生でいることが正しさだと思って生きてきたんです。しっかり勉強にも励んで成績もよかったし、無遅刻無欠席で学級委員も務めてきました。でも、そんな生き方は、この実力主義の世界では何の役にも立ちませんでした。
18年間信じて生きてきた自分に中の正しさがガラガラと音を立てて一気に崩れて、もう、何を信じて生きていけばいいかわからなくなってしまいました。
ーーそれは結構、精神的にもきつかったのではないですか?
しの:次第に、大学に行くと自分はダメなんだと自己嫌悪に陥ったり、同級生の才能に打ちのめされて自信をなくすようになりました。そんな状態が続いて、入学から1年後、ストレスから突然声がでなくなってしまったんです。精神的にはかなりボロボロでした。
ーーそれはもう限界を超えていそうですね......。
しの:でも、それに以上に、周りの同級生に勝る努力をしようと思えるほど舞台が好きと思えない自分にも気づいたんです。その後は半年休学したのち、中退することを決ました。
ーー決断できたことがすごいなと思います。でも、「舞台が好きじゃなかった」と認めることはすごく勇気がいることだったのではないですか?
しの:そうですね。自分の過去を否定することになるから認めたくない気持ちもありました。だからこそ、体調を崩してしまうほど頑張ってしまったのだろうと思います。でも、一生懸命に進路選択をした高校時代の自分や、頑張った過程を否定することは、いくらなんでも過去の自分に失礼すぎると思ったんです。
それに気づいてからは、過去の選択を否定することを辞めました。親から「逃げるの?」と聞かれても「逃げじゃない」と言い張りました。やらずに諦めたのではなく、実際にやってみて好きじゃないとわかったことですから。「新しい自分を見つけられた新発見だ」と考え、気持ちを持ち直していきました。
自分は「何で食べていくのか?」を見据えてデザインの専門学校
ーー中退後は何をされていたのですか?
しの:デザインの専門学校へ入学しました。中退後すぐに就職をせずに、学校に入学するという選択をした理由は、社会に出るまでの猶予時間をつくりたかったからです。
漠然と、このままの自分で社会に放り出されることが怖いという思いがありました。なので、中退後にすぐに就職というより、学生時代の活動を通じて「食べていける自分」になってから社会に出るという選択をしました。
ーーそれで手に職をつけようとデザインの専門学校へ入学を決めたのですね。
しの:でも実は、今回も中退するかもなという気持ちがありつつ入学を決めました(笑)。
ーーえ! 入学前にですか!?
しの:デザインを見ることは昔から好きだったのですが、実際に絵を描くことは苦手で、デッサンの授業なんかは本当に嫌いでした。でも、美大に通っていたときからデザイン分野を学びたいと感じていたし、知らないまま生きることも悔しいと感じていて。そこで、入学前に自分が身に着けたいスキルや知識やを明確にして、それらを身に着けられたら辞めても良いかなと思っていましたね。あくまで食べていく力をつけるために学生という猶予期間を使おうという考えだったので、かなり目的を意識して過ごしていました。
ーーなるほど。専門学生時代は、単にデザインを学ぶためというよりは、食べていく自分になるための期間だったのですね。
しの:はい。なので、入学と同時にライターの仕事も始めました。大学を中退してからデザインの専門学校に入学するまでの間に、ライターという職業を知ったことがきっかけです。表現することが好きな自分にとって、文章を書く仕事にもすぐに興味が沸きました。専門学校に通いながら傍らでライターの仕事もしていましたね。
ーーもうその時からデザインではなくライターとして食べていくことを意識されていたのですか?
しの:意識していました。たしかにデザイナーとして食べていけることに越したことはないです。ですが、デザインは好きなだけで得意な分野ではないことは認知していたので、中退をしてそのままフリーライターのなる道を選びました。
ーーライターを「好きなこと」以上に「仕事」として捉えていたのですね。
しの:そうですね。高校や大学ではキラキラした憧れだけを見て突っ走ってきたことで痛い目をみているので、その経験が活きているなと思います。ライターになってからは、食べていくことと興味のあることに重きを置いて仕事を選んでいます。
具体的には、市場や企業からのニーズを捉えて自分の価値を届けられる記事を書いていく戦略を立てました。わたしがライターになった当時、カフェやおでかけに関する取材記事を書くライターさんはすでに飽和状態でした。それらの分野に興味はあったものの、生き抜くには難しい市場だと感じて。そこで、市場やニーズがあり、若手ライターの少ない領域に絞って働くことに決めたんです。現在のメインの仕事であるスタートアップの取材、企業の広報・PRなどは、そういった市場と自分の興味との掛け合わせで選んだものです。
好きなことだからこそ仕事として成り立たせたい。そのために、「食べていける分野」=「世の中の困りごとに対する自分が価値提供できるもの」の一致点を常に模索して仕事をするようにしています。
ーーなるほど。ライターになるときはかなり現実的に将来を考えられていたのですね。でも、なぜ就職をせずに新卒でフリーランスという道を選んだのですか?
しの:専門学校を辞めた理由のひとつに、毎日「決まった場所・決まった時間・決まった座席・決まった人とばかりと話す生活」をすることが自分の気質に合わなかったからといった背景がありました。
会社員で働くとなるとそのような生活に苦しむことがわかっていたので、なるべく自分が過ごしやすい環境を考えたときに、フリーランスという働き方がベストだな考えました。ちなみに、中退続きで最終学歴が高卒なので、入社できる会社も多くないんです(笑)。
あとは、尊敬しているライターさんが続々フリーランスになっていたので、まずはフリーランスから経験してみようかなと思い踏み切りました。
「人には相談しない。」自分で選択できた理由とは?
ーー大学や専門学校の中退やフリーランスになる決断は、周囲に相談して決めたのですか?
しの:相談はしなかったですね。自分の周りに中退経験者やフリーランスの人がいなかったので、相談する必要が無いなと思いました。
周囲の人に意見をもらう代わりに、何かを選択をするときは必ずひとつの角度だけではなく多方面から物事を見るようにしています。
頭の中で何人もの自分が話し合って会議をしているイメージですね。「みんなはこう言うけど本当にそうかな?」「自分はなぜそうしたいのだろう?」と自分が後悔なく選択ができるような情報収集をしたり、いろいろな立場やアングルでものごとを考えることをしていました。
人生に必要なのは「悩むことを選択する強さ」
ーー最後に、進路選択に悩む学生さんや同世代の20代の方へ向けて、しのさんが生き方の選択をするときに大事にされているを教えてください。
しの:迷ったり悩んだときに大事にしていることは、「焦って選択をしないこと」です。死ぬほど迷ったらいいと思いますし、もう悩むことが嫌になるくらい悩んでくださいと言いたいです。
理由としては、当時の自分にとっては人生に絶望するような悩みでも振り返るとあんなこともあったなと思い出になってしまった経験が誰しもあると思うから。小学生の頃に悩んでいたことに今だに答えがだせず、頭を抱えてどうしようかと悩んでいることってほとんどないですよね。
時間の経過とともに自分なりに折り合いをつけてその時なりにベストだと思う選択をしてきたはずです。それと同じで、悩んでいるときは暗闇のトンネルがいつまでも続くように感じても、自分で決断ができるタイミングが必ずやってきます。
わたしの場合は、「AとBどちらの道を選ぶべきか?」 とすごく悩んでいてなかなか答えが出なかったのに突然表れたCという道に運命を感じて即決できたり。部活や学校を辞めるか辞めないかずるずる考えながら過ごしていたら、理屈ではなく心や身体が素直に反応してくれて後悔なく決心がつくタイミングがやってきたり。
迷っている時間は永遠には続きません。だからこそ、無理に答えを出そうとせずにその時が来るまで焦らず待っていて良いと思います。
ーーご自身の経験からくる言葉は説得力が違いますね......!
しのさん:わたしも高校生だった当時は悩んでいる時間が永遠に続くのではないかと思うくらい長く感じました。今となっては高校時代の悩みなんて人生の中のほんのひと時だったなと思えますが、当事者にとっては悩んでいる今が全てなんですよね。だから早く結論を出したいと思う気持ちも痛いほどよくわかります。
でも、後悔のない選択をするために中途半端に答えを出さず、迷うことができる人って素敵だなとわたしは思います。
人生には迷うことの強さも必要です。だからこそ、今は迷っていい時期なんだと思って存分に迷ってほしい。自分の生き方の選択を振り返って、今はそんなふうに思いますね。
ーーなるほど。物事から目をそらさずに悩みぬいて答えを出した経験って後の人生で糧になってくれますもんね。しのさんの言葉に救われる人はたくさんいると思います。
しの:もし今ひとりで悩んでいて苦しいなと思っているひとがいれば話聞くよって言いたいです。
*編集後記*
人は、自分の人生と真剣に向き合うからこそ悩むもの。人生には、その瞬間だけを切り取れば絶望するような場面もたくさんあります。苦しかったらその場から逃げてもいい。その代わり、自分の人生からは決して逃げない強さを持つこと。それが、「悩む強さ」なのではないかと、しのさんのお話を聴いて感じました。フリーライターとして活躍を広げるしのさんのさらなる飛躍が楽しみです!
執筆:みさとん@misaxx222
編集:カタヤマハルカ@happeter02
撮影:はっしー@hashii_2
取材場所:熱海 en nova guesthouse, cafe-bar, shops & places
#01『夢は島根の子供たちと海外の懸け橋になる学校の先生になること』DreamBridge-夢取材ノート-
#01『夢は島根の子供たちと海外の懸け橋になる学校の先生になること』
「やりたいことがあるけど人と違う道を歩むことになるし・・」
「挑戦したいけど怖い・・」
新しいことに挑戦するときに感じる不安。一歩を踏み出すことに足踏みをしてしまう経験は誰しもあるのではないでしょうか。
そんな一歩を軽やかに踏み出し、夢に向かって自分の道を歩む一人の女性を取材をさせていただきました。
大学を休学しドイツ・オーストラリアへの2年間のワーキングホリデー経て、先日帰国をした奥村友香子さん。
”ワーホリの経験を地元島根に持ち帰り、
子供と海外の懸け橋になるような
学校の先生になりたい”
いわゆる「みんなと同じ道」ではない2年間の休学をし、海外生活をするという選択をした経緯や背景、そしてこれからの夢についてお話を聴いてみました!
奥村友香子さん
1995年生まれ 島根県出身。京都の大学に進学後、3年生で休学。その間ドイツ・オーストラリアへワーキングホリデーに出る。海外の学校でボランティア・世界各地を旅した後に帰国。2019年復学予定。卒業後は地元島根県で英語教師になるため、勉強に励んでいる。
『休学』という選択をしてなぜ2年間もワーキングホリデーに?
ーー今日はよろしくお願いします!そしてオーストラリアからお帰りなさい!
ドイツ・オーストラリアと休学をして2年間行っていたんですもんね...!
奥村:そうですね。ドイツでのワーキングホリデー(以下略ワーホリ)ではドイツの学校に見学に行ったり、せっかくなら周辺の国にも行ってみたいと色んな国を旅しました。
1年間後にいったん帰国して、二度目のワーホリはオーストラリアへ。
大学を卒業したら地元島根に戻って学校の先生になりたいと思っているので、オーストラリアでは小学校で日本語教えるボランティアをしたり、中・高校に見学に行ったり、そんな一年間を過ごしました。
ーーすごく充実していそうですね......!でも、長期休みで短期留学に行く学生は多くてもなかなか休学をしてワーホリというのは踏み出せないという人も多い気がします。そもそもなぜワーホリに行こうと思ったんですか?
奥村:高校生の時にドイツへ留学をした経験が大きいです。異文化交流といった感じの留学でした。そのとき一番感じたことは、「いかに自分が狭い世界で生きているのか」ということ。「学校」という枠に守られた環境で生きていることに海外生活をして初めて気づきました。
それから大学生になって、また海外に行こうという気持ちはずっとありました。でも、毎日大学に通う生活がなんとなく嫌で(笑)、自分の好きなことをして過ごしたいという気持ちが大きかったです。そこでワーキングホリデーというものがあるのを知りました。当時は自分で図書館とかでも調べてましたね。
ーーなるほど......!
毎日学校に通うのが嫌でワーホリを探してきたところが面白いですね(笑)
でも、2年休学することへの抵抗や悩みや葛藤はなかったですか?
奥村:あ~。今でも友達にはゆかこみたいには行動できない(笑)って言われたり、この選択をしなかったら他の道もあったのかなと思うこともあります。
でも、例えば社会人になってからや定年後に初めて海外に出ていたら何も人生変わらなかっただろうなと思うから、あんまり気にしてないですね(笑)。
なんか、他の人が部活動とか学校生活で学ぶことをわたしはたまたまワーホリや旅を通して学んだっていう感覚で、だからそんなに特別な感じはしていないです。
海外ではよくギャップイヤーって言って高校から大学へ進学するときに1~2年好きに世界を旅したりボランティアをしたりいろんな経験をしてから大学生になるんです。
それってすごくいいことだなと思っていて、私もそんな感じかなと思ってます(笑)。
オーストラリアでの日本語教師ボランティアで得たもの
ーー進学も就職もこんなにストレートにする日本の方が世界から見たら珍しいですもんね...じゃあワーホリに行く前と行った後では色々とご自身に変化があったんですね!
奥村:そうですね!変わりました!
卒業後は地元島根で学校の先生になろうと思っているので日本の学校教育とは違う海外の教育文化やシステムを吸収できたことは大きいですね。
自分の手持ちのカードが増えたイメージ?(笑)かな、そこでの経験は教師になってから自分ならではのものになってくれそうです。
ーー具体的に日本の学校とどのように違うのですか?
奥村:一言で言うと、オーストラリアの学校は「自分で選択して生きる練習ができる場」だなと思いました。あっちの学校では日本の大学のような授業選択を中学生の時点でするんです。まさに自分で選んで自分で勉強をするという教育スタイル。みんなと同じというわけにはいかない。
だからこそ、子供たちはその授業を受ける理由をきちんと持っている印象を受けました。日本語の授業を取るにでも、「日本が好きだから」とか「日本の漫画に興味を持ったから」などの理由が言えて、ただ授業を受けるというより授業を受けてどうしたいのかという部分を一人一人持っていました。ここは日本の学生と違うところだなと感じましたね。
-なるほど...!学びの目的を持ちやすくなるのは良い教育環境ですね!
奥村:そうなんです。それに、オーストラリアの先生達の教育に対する姿勢も勉強になりました。日本だと、「そのクラスのことはそのクラスの担任の先生が見る」というクラス単位での括りが根強いと思いますが、オーストラリアでは違います。
よい指導方法はみんなでシェアしよう。教師全員、学校全体でいい教育を目指そうという印象を強く受けてそこに一番感動しましたね。
だからこそ誰か一人の先生が抱え込んでしまうといったことがない。それに、私が見学に行くと先生達がものすごく手厚くもてなしてくれて。日本だと教育実習生でも煙たがられることもあるくらいなのに(笑)。そういった雰囲気からも学校がすごくオープンだなという印象を受けました!
ーー目をキラキラさせて話してくれる奥村さんを見ているだけでも良い教育現場なんだなと伝わってきます(笑)日本ではなくそういった海外の学校で働こうとは思わなかったんですか?
奥村:本当に楽しかったです。もちろんそれは思いました。海外の学校教育をもっと勉強したいなと。でも、今の私は学生で社会に出ていません。
だからこそ日本と海外の学校現場を比べて自分の進路を決めるのはまだ早いなと。まずは日本で学校の先生になって、現場を知って、それから海外の学校現場に行くのでも遅くはないかなと思うんです。
周りからは、地元島根で教員をやるのはもったいないと言われたりもしました。でも、島根の子が地元以外の世界を知らずに育つことの方がよっぽどもったいないなって思うんですよね。
夢は島根の子供たちと海外の懸け橋になる学校の先生になること
ーー「私は、英語を教えたいから学校の先生になるわけじゃないんです。」そう語る奥村さんの教師になってからの夢を聴きました。
奥村:島根はすっごく田舎で、私が留学に行くときは「島根から留学生が誕生!」って新聞に載ったくらいなんです!(笑)。東京とかではありえないと思うのですが、島根県民はそれくらい県外に出ることが滅諦にないという証拠ですよね。
でも、それって島根の子供たちにとってはすごくもったいないことだなと思うんです。
狭い世界しか知らないまま自分の可能性を閉ざしてほしくない。
海外に出れば色んな人がいて色んな生き方がある。その多様な価値観に触れた経験に救われることはこれから先生きていく上でたくさんあると思うんです。
だから私は、英語教師として英語を使って島根の子供たちに広い世界を教えたいと思っています。英語を使ってどんなことができるのか、英語を学ぶとどんな世界が見えるのか、いかに学校が狭い世界なのか、ということを伝えたい。
子供達がただ英語の授業を受けるのではなく、オーストラリアで見てきたように「学んでどうしたいのか」という子供たちにとっての英語を学ぶ目的も育てられたらいいなと思います。
島根の子達は海外なんて遠くてとんでもないと思っているけれど、実はそんなことはなくて。意外と近くにあるんだよと伝えられるのは、2年間のワーホリ経験や海外の学校現場を見てきた私だからできること。
そんな海外との懸け橋になることが自分の使命だと勝手に思ってます(笑)。なので教師は島根でするからこそ意味があると思いますね。大好きな地元ですし!
ーーすごいなぁ...!そんなビジョンがあるんですね!
奥村:でも、現実はそう甘くはないとも思っているので、夢を持ちつつまずは教員採用試験の合格に向けて頑張ろうと思っています(笑)
迷うからこそ挑戦し続けられる
ーー奥村さんは芯があってブレないタイプのように見えるのですが、何か大切にしていることや軸みたいなものがあったりするんですか?海外生活中に気持ちに迷いが出たりはしなかったんですか?
奥村:もちろんありました!「なんで私これやってるんだろう」って(笑)。だからこそ、その都度立ち止まりましたね。私はノートにマインドマップのような形式で気持ちを書き出していました。そうすることで気持ちが整理されてやりたいことが明確になるんです。
なので、芯があってブレないというより自分の気持ちに迷いがでたらその都度立ち止まって、自分の変化に合わせて軌道修正をしながら進んでいると言ったほうが正しいかもしれません。
何も疑問を持たずにやり過ごしてしまうことが一番怖いことだと思うので、悩んだり迷ったりすることは大事です。
だからこそ挑戦し続けられるし、やりたいことをやり続けるためには必要なことだと思ってます。
*編集後記*
奥村さん(ニックネーム:おかゆ)と出会ったのは、おかゆがドイツにワーホリに行っている最中。旅人育成企画(タビイク) でモロッコに一緒に行ったり、ドイツの家に泊めてもらって観光案内をしてもらったのが最初の出会いでした。
改めて彼女の夢を聴いて思ったことは、他人の声ではなく自分の気持ちに正直に生きることで得られるものは"自分だけ"の大きな財産になるということ。その経験を活かして今度は"誰かのため"に頑張りたいとする姿がとても素敵でした・・!
『あなたの人生、取材させてください!』
こんにちは!
旅するライターのみさとんです!
今回は、『あなたの人生、取材させてください! 』
と題してnoteではじめた企画をご紹介します。
なぜ、わたしが「人を取材したい」と思うようになったのか。
なぜ、それを生業としてやっていきたいのか。
ぜひ、最後まで読んでいただければと思います。
ーーーーーーーー
-やっぱり、やりたことやって生きたい!
学生のときは収益を考えなくてよかったからできたけど、
社会人になったらそうはいかない。
なんて自分で勝手に考えていたけれど、そしたら私の人生のピークは学生で終了じゃん。
え?そんなんでいいの?そんなことある!?!?
と本気で頭を悩ませたので、
「社会人になってもやりたいことができる前提」で考えてみることにしました。
-やりたいことって・・?
私のやりたいことって、
会社で言うところのミッションや理念に例えると、
『人が、夢や想いを叶えるための懸け橋になって、人の生き方の選択肢を広げたい』
です。
新卒で入った会社は、人材紹介の会社でした。
入社を決めたのは、
「就活の在り方を変えたいから」それにいいね!と言ってくれる会社だったから入社を決めました。
私自身、就活にずっと疑問を持ちながら就活をしていました。大学3年生になった途端、みんな今までのイキイキしていた顔を伏せ、同じ髪色、同じ服、同じような台詞を話し、社会から必要としてもらうために面接を受ける。
それが悪いとは断言できません。
でも、「我慢」してやっている人もいるのではないか?と思いが拭えなかったんです。
我慢して面接を受け、でも個性を認めてくれる会社に出会えた。
でも入社以後はやっぱり我慢が求められる。
だったら、学生時代にもっと自分の生き方について考える時間や機会があってもいいのではいか?と思うようになりました。
なぜなら、「正解」はないからです。
正解はないのに、就活の時期になると生き方の正解を出したような気になってしまう。だって、内定という社会から求められている証拠が何よりの安心材料だから。
生き方を考える。職種や業界ではなく、どんな生き方がしたいか?を考える。
そうすれば、「求めてくれるから入社する」のではななく、「自分が求めるから入社する」に変わるのではないかと思いました。
じゃあ、どうしたらいいのか?
就活のシステムを変える・学校教育を変える、根本的な問題はもちろんあるけれど、そんなことできないからしょうがないと諦めるより、私にできることがしたいなと思いました。
それも、自分の好きな方法で。
それが、
『やりたいこと・好きなことにまっすぐ生きている、生きようとしている大人を取材し、記事にして連載していくこと』です。
ナビサイトとにらめっこしてポチポチと職種を選ぶ就活もいいけれど、色んな大人の生き方を見た中で、
「世の中にはこんな生き方をしている人もいる!同じ仕事をしていてもストーリーは一人一人違う。だから自分だけの道を選んでいいんだ。」
そんなふうに、社会人になってからこそ、やりたいことに素直になっていいと背中をポンっと押してもらえるようなメディアをつくりたいと思いました。
たくさんのかっこいい大人を取材をして一人でも多くの学生と元学生(私たち20代)にその記事を届けたい。
学校と、バイトと、家と。学生はどれくらいの大人を、どんな大人を見て、社会に出るにだろう。ファーストキャリアを決めるのだろう。職業や働き方を決めるのだろう。
せっかく、インターネットがあれば世界中と繋がれる時代なのだから、色んな生き方を知って見て触れて、自分の生き方を考えるきっかけにしてほしい。
そのきっかけをつくること。それが、私の「今」やりたいこと。
-自分の好きなことだから。
どうしてこの「やりたいこと」を思いついたのか?
純粋に、『自分の好きなこと』だからです。
*好きなこと*
・旅
・文章を書くこと
・人の想いや夢を聴くこと
生き方の選択肢が広がるようなお手伝いがしたいと言いながら、じゃあ今の自分は?と問うたとき、胸を張って我慢せずに幸せに生きていますとは言えなかった。
まず私が「好き」に正直に生きろよ!!と喝を入れたい・・。
だから、「いつか」ではなく、「今」始めようと思いました。
旅するライター・キャリアアドバイザーになりたい
旅をしながら働ける自分になりたい
思っているだけで、口を開けて待っていても何も降ってこないし手に入らない。
それなら自分から選択肢は一つだと、まずはやってみることにしました!
ーDreamBridge-夢取材ノート-と名づけて。
やるからには、自分がモチベーションの上がる方法がいいな。
そう思い、
この企画には、
『人の夢と夢の架け橋になるように』と思いを込めて、
DreamBridge-夢取材ノート-
と名づけて連載をしていくことにしました。
-そして最後に。あなたの人生、取材させてください!
自分の「好き」に正直に生きている人はかっこいい。
でも、何かに向かって今もがいている人も、かっこいい。
そして、一歩を踏み出したい人が知りたいのってキラキラした部分ではなくてそういう泥臭いところなんじゃないかって思うんです。
完成されていなくていい。当たり前だけど、生きている間はみんな未完成でいつだって悩んで迷って生きている。
そんなあなたの人生を、取材したいんです!!
恐らく、私から取材させてください!とお声がけをさせて頂くかと思いますが、
「いいよ!協力するよ!」と言ってくださる方がいましたら是非、是非、是非!!!
取材をさせていただければと思います・・!
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*こんな仕事がしたい!3つの軸*
こんにちは!
旅するライターのみさとんです。
プロフィールでは、
『世界中の人の夢を聴きながら世界一周がしたいーっ!』
『人と人を繋いで、学生や20代の生き方の選択肢を広げたいーっ!』
など高々と言っていましたが・・・
新卒ほやほや、今月からライターになったばかりのほやほや・・。
とにかくお仕事をしなければ!!!
と、手あたり次第探っているわたしですが、
「お仕事は何でもいい!」わけではありません。
そこで、『人と人を繋ぎ、学生や20代の生き方の選択肢を広げる旅するライター』
になるために具体的にどのような仕事がしたいのか、3つにまとめてみました。
駆け出しライターみさとんが、お仕事にしていきたい3つの軸
①旅をしながら仕事ができるライターになる
・旅先の宿やご飯屋さん、おすすめスポットの紹介(情報サイト)
・旅先で出会う地元の方を取材 (お店・宿のPR)
・東京でおこなう仕事を旅先に持っていく(文字起こし・執筆)
☞自分がどのような働き方をしたらハッピーか考えたところ、
『旅をしながら仕事をする』ライフスタイルに挑戦したいなと思っています。
地方を転々と多拠点で生活するのも良し。
埼玉に居ながら、海外へ取材に行くのも良し。
同じ場所で、同じ人と、同じことを繰り返す毎日......
ではなく、自分の好きな『旅』をしながら働くことができる仕事
をしていきます。
②人の生き方の選択が広がるような取材記事を書いていく
・まずは、自分の周りの人を取材する(実績づくり)
・旅人の生き方を取材する
・起業家を取材する
取材記事は、いきなり自立してお仕事をはじめることは難しいです。
そこで、ますは自分の周りのひとを取材することからはじめてみました!
☞(オンラインサロンの『旅ときどき仕事』メンバーを主に取材。
自身noteで発信していますが、ブログにも転記していきます)
また、お正月を返上で営業したおかげもあり・・・
生き方や働き方に関するいくつかのメディアで
執筆させていただくことが決まりました!!(パチパチパチッ)
着々と、取材力を身に着けてまいります・・・!
1月から携わらせていただくメディア☞
『Traveld,』『Keypage』『Solopro』『BlindUp.』など現在も問い合わせ中......
③コミュニティづくり
・まずは参加者として学ぶ
・イベントやコミュニティ運営のお手伝い
・イベントレポート記事作成
・運営をやってみる
☞人がすきなわたしは、人に囲まれることがすきなわたしは・・!
ライターとしての記事を書くだけではなく、
ゆくゆくはイベント運営やコミュニティ運営などに携わりたいなと思っております。
イベントもいいし、ゆるゆるカフェを開いてもいいな.......!
現段階で考えているのは、将来的に・・・!
という感じなので具体的にすぐに収益に繋げて何か活動を始めていくなどは
考えていませんが、
まずは参加者として学んだり、知り合いのイベント運営の手伝いからはじめていこうかと思っています。
以上、旅するライターみさとんがお仕事にしていきたい3つのことでした!
次回の記事では、『あなたの人生取材させてください! 』と題してnoteではじめた
取材記事を紹介します......!こうご期待!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
はじめまして*プロフィール*
はじめまして。
2019年1月からフリーライターとなった旅人ライターのみさとんです。
ブログをはじめるにあたって、自己紹介をさせていただきます。
【名前】みさとん(貝津 美里)
【出身】 埼玉県(在住)
【生年月日】 1996年2月22日
【経歴】2018年新卒で入社をした人材紹介会社を退職し、2019年1月(今月)からフリーライターとなりました。
【夢】
世界一周をしながら、
世界中の人の夢や想いを取材し発信すること
【ありたい姿】
人が夢や想いを叶えるための架け橋になり、学生や20代の生き方の選択肢を広げる旅するライター
【なぜやるのか・・・?】
新卒で入社した会社には、
『学生の生き方の選択肢を広げられるようなキャリアアドバイザーになりたい』と、
志していましたが、ストレスで会社に行けなくなり、自分を見つめなおしました。
そこで気づいたことは、2つ。
『まず自分自身がが、いろいろな人の生き方の選択肢を見ないと良いキャリアアドバイザーにはなれない』
『自分が幸せでないと人を幸せにすることはできない』
ということです。
人生ではじめて引きこもりになったり、泣きながら母親と向き合ったり、最後は自分の人生に向き合って.......。
転職経験ふくめ紆余曲折ありながら、2019年からライターとして活動をしていくとを決意しました。
ライターと言いながらも、書くことが目的ではりません。
あくまで、わたし自身のありたい姿である
「人と人を繋ぎ、人の生き方の選択肢を広げる、旅ライター」を目指して生きることが自分のしあわせになると考えています。
20代では、さまざまな媒体でライターとしての経験を積み、
(その間に世界一周の夢も叶えるよ......!)
30代以降、キャリアアドバイザーにもチャレンジしたいと思っている
そんな旅するライターです...!
どうぞ、よろしくお願いします。
次の記事では、具体的にどのようなことをしていくのかご紹介します......!☞